■  萩2題。 花のはぎ、『めいぼくせんだいはぎ』伊達騒動    2018.9.23 
   
「樅ノ木は残った展望デッキ」エリアに到着です。

伊達騒動の有った時の城主は、原田甲斐。 歴史的には、狼藉者の汚名を着せられたのですが・・・<br>
山本周五郎の小説では、伊達藩の分割をもくろむ幕府や取り巻きの動きを身を挺して阻止した「忠臣」として<br>
取り扱われ、昭和45年NHK大河ドラマで「樅ノ木は残った」で取り上げられ一躍有名になりました。<br>
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 一目千本桜を展望出来る高台にはシンボルとしての樅の木が植えられ、
後の平成23年に「展望デッキ」が整備されました。
 「萩」、仙台萩と宮城野萩
  植物の仙台萩は、春に咲く黄色い花です。仙台の「萩」は、秋に咲く宮城野萩を指します。
 
和歌に歌われる宮城野萩。分布:中国四国山間部から北部。            (仙台萩)分布:東北地方から北海道の砂地に見られる。
 伽羅先代萩(めいぼく せんだいはぎ)
読み方は同じで、皆さんの記憶を掠めるのは、先代萩(せんだいはぎ)でしょう。

古典と呼ばれる歌舞伎作品の中の人気狂言です

 
 仙台3代藩主・伊達綱宗が、伽羅(インドの香木、名木)で作った高価な下駄を履いて、夜な夜な遊女の許へ通い
遊女遊びで身を持ち崩し、隠居。
 幼い藩主が生まれると、いつの世も、その藩政を握ろうとする悪者が出てきます。その悪者一派の仁木弾正と八汐の兄妹、
わが子を犠牲にしても、幼い藩主を守ろうとする乳人の政岡を中心に物語は進みます。
この作品も俗に「伊達騒動」と呼ばれるお家騒動をモチーフに描いているのです。伊達家は有名な伊達政宗を祖とする奥州の
64万石の名門ですが、この伊達家を舞台におこった藩内の争いは、江戸時代の「お家騒動」の中でも、最も有名なものとして
世間の注目を集めました。
当時、伊達藩は、前3代藩主綱宗が素行不良のため隠居させられた。
家督を継いだのは、2歳の幼い4代藩主伊達綱村でした。伊達兵部(だて ひょうぶ)が藩主の後見役として実権を握り、
家老原田甲斐(はらだ かい)とともに実際の藩政を動かしていました。
これに保守派の伊達安芸(あき)らが反発、両派の対立が深まります。
伊達安芸は、自身の境界争いに対してなされた伊達兵部の裁定に不満を持ち、兵部一派が悪政を行っていると幕府に
訴えていました。
1671年3月27日その尋問が、幕府の酒井大老邸で行われました。そのとき、形勢不利な原田甲斐が控室に戻り、伊達安芸を斬り、
その原田甲斐は、柴田外記(げき)に斬られるという刃傷事件が発生しました。当事者のほとんどが死んでしまい、あやふやなまま
「伊達騒動」が決着してしまいました。
この結果、原田家は、男子は皆斬られ、お家断絶となり、生き残った伊達兵部は四国の土佐に流されますが、仙台藩64万石には
おとがめなしとなります。
これが伊達騒動です。

 樅(もみ)の木は残った
 山本周五郎の小説「樅の木は残った」では、原田甲斐は、仙台藩を守った忠臣として描かれています。昭和45年ですが
NHKの大河ドラマにもなりました。

あら筋は、幼君を操っていた伊達兵部が幕府の大老酒井と、仙台藩を2分し半分は自分が治めるという密約を交わしていたことを
知った原田甲斐が、伊達兵部に接近しつつ(敵側に組する形をとりながら)、仙台藩の危機を救うために奔走するというものです。

この小説の中で、主家の安泰を最も願っていたにもかかわらず、逆臣の汚名を着たまま死んだ原田甲斐を象徴するものとして、
原田甲斐が好んだ木として樅の木が登場します。
  展望デッキから見た「しばた千桜橋(せんおうきょう)」
と、奥に蔵王連峰手前に白石川と一目千本桜の桜並木。
 丁度、JR東北本線を貨物列車が通過しました。
桜の時期には、客車の徐行運転が行われています。
  船岡城址公園では「曼殊沙華まつり」開催中でした。  
   

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