宮城の明治村・登米  宮城県登米市登米 その2 明治の建物・森舞台
◆明治の建物
 この案内図の上端が岩手県一関市あたりですが、この北、岩手県平泉町・水沢市なども仙台領であった。今は、広域観光事業が行われてい
ます。
宮城県登米市(とめし)登米(とよま)は、江戸後期から明治時代の建造物が残っており
みやぎの明治村と呼ばれています。
 写真右上は明治4年から、岩手県一関市に移される(明治8年)まで使用された「旧水沢県庁舎」。廃藩置県により伊達領の北側が水沢県(地
域は現在の岩手県南部と宮城県北部一帯:案内図の色付けされている地域を含む北側)とされ、ここに四年間だけであったが県庁が置かれた。
その後は、小学校や治安裁判所などとして使われました。老朽化が激しく、平成2年に、明治22年ごろの裁判所の形で復元されました。
明治22年から昭和43年まで登米警察署として使われ、今は警察
資料館となっている建物。
国指定重要文化財、旧登米高等尋常小学校校舎。
みやぎの明治村・登米の象徴的な建物で教育資料館になっている。
校門から中に入ると、特徴的な2階バルコニーが目に飛び込んでくる。純木造の二階建ての建物で、正面に向かってコの字型に造られてい
ます。両端には六角形を半分に切った形の昇降口があります。
バルコニーは、洋風に造られ当時も腐食防止のためペンキが塗られ、床は亜鉛メッキ鋼鈑が敷かれている。
左は、蝋人形を使って当時の模様を再現しています。いつか何処かで見たような、懐かしい感じのする風景。
右は、裁縫教室・畳敷きの教室です。
  
◆伝統芸能伝承館『森舞台』
登米能は、伊達藩主正宗が能を好んだことから藩内で演じられ、後にここ登米に伝わり発達しました。
平成8年には町の伝統芸能伝承館『森舞台』も完成して、新緑の6月と、9月のとよま秋祭りに松明のかがり火の中で演じられています。
伊達一門に伝わり現在まで継承されている大倉流の「登米能」は、見る者を暫し幽玄の世界へと誘います。
アマチュアで演能している
 ガラス張りの茶室と、能を鑑賞する白砂敷きの観覧席。
正面奥の鏡板には日本画家千住博氏製作の老松と若竹が描かれており、演者が床を踏んだ際のポーンと響く音響効果を高めるための
舞台の下に置いてある瓶の位置・向きは、現存する日本最古の能舞台として知られる京都西本願寺北能舞台を参考に配置しているとの
ことです。(↑ 床下をご覧下さい)
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