日本三景・松島/奥松島・嵯峨渓 その1
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■ 松島四大観・壮観 大高森
日本三景・松島の景観を眺望するビュースポットとして『松島四大観(まつしましたいかん)』と呼ばれる場所が有ります。
その一つが、松島湾最大の島、松島湾の東側に半島のように突き出た室戸島の標高105mの地点。
最寄り駅はJR仙石線野蒜駅。駅から真っ直ぐ海岸に出て松林を眺めながら約4kmの散歩道を歩きます。
[写真左は、里浜から見た大高森。中央ちょこんと最初の松があるところ。写真右は、頂上の展望台。美しい野蒜海岸が見えます。]
登り口から、急な山道を15分ほど上り詰めると頂上に到着です。
大高森からは日本三景・松島が箱庭のように眺望することが出来ます。中央部辺りが瑞巌寺等がある松島海岸。
また、太平洋の東側に目を移せば遠く牡鹿半島と手前から田代島、網地島、中央の辺り三角の頂のある
金華山(と言う島)を眺望できます。
■ 縄文時代の貝塚/里浜貝塚
ここからは、一寸歴史の話にお付き合い下さい。
三段目の写真左側の漁港の岸壁がある辺りが里浜と呼ばれる所で、縄文人が定住し、食べた貝殻を捨てた貝塚
遺跡のある所です。(※)この一帯には複数の貝塚が有り幾つかのグループが移動しながら生活していたようです。
日本の土は酸性が強く、骨なども百年もすれば土に返ってしまいます。ところが貝塚では貝殻のカルシウムにより
中和され、なんと魚の骨までが良好な状態で保存されています。
大高森から少し行ったところに「奥松島縄文村歴史資料館」があり、貝塚の断片の剥離見本などを展示しています。
(写真右上・縄文人のゴミ捨て場=貝塚)

※日本全体では3千箇所、ここ松島湾岸には70箇所ほど集中しています。
■ 日本初の近代的港、野蒜築港跡
 大高森の観光基点、JR仙石線野蒜駅前。そのJR沿線の海岸線との間に流れるのが東名運河(松島湾〜鳴瀬
川間3.3km)で日本初の近代的な港『野蒜港』築港事業の一環として明治17年に完成したものです。

 野蒜築港は、明治9年に調査開始からスタートし、明治17年9月の台風による東突堤破損により中断・廃港になった
港の建設跡地で、奥松島・野蒜の鳴瀬川対岸にあります。中央のガイド図で下部を流れるのが鳴瀬川&吉田川。
左側に人工の「新鳴瀬川(写真右)」を掘削、併せて石巻市蛇田に至る北上運河(12.8km、明治14年完成。図の右上)・
東名運河で安全な水路を確保しました。
 これら水路の中心部に市街地を配置し一大港町を形成する予定でした。
[写真左から、東名運河、野蒜築港完成予定図、新鳴瀬川とレンガ造りの橋脚。背後が市街地予定地で今は防衛庁の管理地&民家が有ります]
 鳴瀬川の河口。遠景は宮戸島の半島・奥松島・嵯峨渓と呼ばれる場所。
写真中央よりやや右手が防波堤で小さな灯台が見えます。中州のところがかつての東堰堤跡。手前の水路は
船留り。この左側、北上運河で石巻市に繋がっています。
手前が鳴瀬町浜市地区(最寄り駅:JR仙石線小野駅)、対岸が野蒜地区。
河口の石碑 かつての公園跡に有る石のローラー
と、石碑。
築港と共に設置された観測所跡の
石碑。観測所は石巻に移った。
  

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