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伊達政宗の廟/瑞鳳殿 |
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るーぷる仙台は、青葉通から南に外れ、「経ヶ峰」のある霊屋下(おたまやした)へ到着する。バス停を降りると目の前に「独眼竜」の異名を持つ伊達政宗が自ら終焉の地として遺言した「経ヶ峰」が現れる。
写真左は、青葉城から見た瑞鳳殿のある「経ヶ峰」遠景。右は、バス停の前からの風景です。 |
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うっそうと茂る杉木立を登っていくと、政宗の瑞鳳殿と二代目・三代目の廟が現れてきます。写真右は、各廟の配置図です。 |
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参道を上り詰めると瑞鳳殿の入り口に到着です。拝観料を納め内部に入ると、「涅槃門」から「瑞鳳殿」が見えてきます。 |
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寛永13年(1636)70歳で生涯を閉じた伊達政宗公の霊廟である「瑞鳳殿」は、公の遺言により翌年造営されました。瑞鳳殿は、桃山洋式の豪華絢爛たる廟建築として昭和6年に国宝に指定されましたが、昭和20年の仙台空襲により一帯の諸建築物とともに焼失。昭和54年に再建されたものです。 |
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左は、政宗公が好んだ「阿吽(あうん)の龍」
瑞鳳殿を出て少し移動すると、伊達藩主二代目忠宗公(1599-1658)の廟「感仙殿」に到着します。こちらも戦災で焼失、昭和60年に再建されました。 |
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「感仙殿」の隣には「善応殿」があります(左の写真)。こちらは、三代藩主綱宗公(1640-1711)の霊廟で、同じく昭和60年に再建されました。世に言う『伊達騒動』へと発展する幕府からの逼塞隠居を言い渡され、隠居後は和歌、書画、蒔絵等で芸術的天分を発揮されました。
瑞鳳殿を後にし、広瀬川を眼下に評定河原橋(右の写真)をわたり、広瀬川に掛かる別の橋、大橋へと向かいます。 |
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